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書き込みが大変遅れました。
横川君、「チェルフィッチュ、意図的なナチュラリズム」というテーマでの発表、興味深くはあったのですが、「先行するイメージ」が具体的にはどういうものなのか、ぼくにはわかりにくかったですね。中村さんのコメントを聞いて、少しはっきりしてきましたが。
全体にはよくまとまっていたのですが、チェルフィッチュの紹介のような印象が強くなってしまうのは、教室でも言ったように、結論が一般論的になってしまったため、チェルフィッシュを成り立たせている個々の要素の働きや結びつきがかえって希薄に感じられてしまったためだと思います。せっかく細かく説明してくれたので、なんとかもう少し掘り下げてもらいたいものです。(新しい演劇のかたちであることはわかったものの、どうも魅力的にはぼくには思えなかったのも、そのあたりのことと関係しているかもしれません。)
急遽発表テーマが変わり、ぼくの知らない演劇が取り上げられたため、なんとく割り切れない部分もあり、質問の時間を必要以上に長くとってしまったかもしれません。本当は、今年度の最後の授業だったので、来てくれた皆さんにもっと自由に話してもらうつもりで、そのための素材も一応や用意していたのですが、横川君の発表に出てくる「無意識」が、これまでの発表で取り上げられて来た「無意識」と微妙に違う部分もあり、どうも発表のあとにこれまでの授業を振り返ってのフリーディスカッションには持っていきにくかった部分もあります。それに加えて、ぼくの体調のせいもあり、ディスカッションへの移行ができず、せっかく来てくれた皆さんには申し訳なかったように思います。できれば、また何か機会を作りたいものですが、さて、どうなりますか。
この授業では、いろいろな表現のかたちに触れてもらいたいと考えていたので、その点は少なくとも果たせたのではないかと思っていますが、それを踏まえての意見交換のようなところまではあまりいかなかったのがやや残念です。たとえば、同じ写真でも、カルティエ=ブレッソンと大辻清司と森山大道ではかなり違う表現であり、しかし、それぞれに「無意識」とは絡んできているはずで、そのあたりのことをまたいつか皆さんと話せればと思っています。
それはともかく、まずは、よい夏休みを。
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