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サイパン島玉砕

 投稿者:小松元  投稿日:2014年 6月20日(金)10時24分23秒
   平成26(2014)年6月15日早朝NHKのラジオ「今日は何の日」の番組で昭和19年サイパン島玉砕の日であるを聞いて思い出した。当時国民学校高等科1年(中学1年)だった。全校生徒全員約400人が運動場の奉安殿に向い学年別に集合、朝礼台に立った渡辺保教頭先生「サイパン島が玉砕した。必ず神風が吹き鬼畜米国をやっつける」との意味の話であったことを思い出した。因みにサイパンの戦いは大東亜戦争中昭和19年6月15日~7月9日に行われた米軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘、斉藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島にホランド,スミス中将指揮する米軍第2師団第27歩兵師団が上陸し戦闘の末日本軍が全滅した史実である。  
 

お断り

 投稿者:小松元メール  投稿日:2012年 2月10日(金)12時19分38秒
  長期間パソコンの不具合のため交信ができなくなっていました。予科練いずこに投稿していただいた方々に御礼を申しあげると共にお断りを申し上げます。小松元  

脳梗塞でリハビリ中です

 投稿者:千田明  投稿日:2010年 6月24日(木)15時12分53秒
  脳梗塞でリハビリ中です。まだまだあちらへは行けませんね。あと5年で米寿ですからね。頑張って生き抜くとします。見守ってください。パソコンの入力は左手でやっています。  

小田原分隊士は宇和島で。

 投稿者:千田明  投稿日:2010年 6月24日(木)14時52分7秒
  小田原少尉は宇和島空の分隊士でしたから記憶は断片的です。鮮烈に記憶していることは、温習時間に手箱に正座させられた総員罰直がありましたが足の手当てを指導してもらったことは今でも思い出しています。ア式蹴球(サッカー)指導してもらったこともです。  

貴殿と同期

 投稿者:村田吉彦メール  投稿日:2010年 4月30日(金)10時47分51秒
  私は徳島空の38期です。その後、佐伯岩国を経て、終戦時は、93式中間練習機の特攻隊の偵察員として、串良基地で終戦。貴兄は予科練の分隊士、小田原少尉をご記憶ありや。たまたま、このホーム頁を開き、送信するしだいです。  

貴殿と同期

 投稿者:村田吉彦メール  投稿日:2010年 4月30日(金)10時47分29秒
  私は徳島空の38期です。その後、佐伯岩国を経て、終戦時は、93式中間練習機の特攻隊の偵察員として、串良基地で終戦。貴兄は予科練の分隊士、小田原少尉をご記憶ありや。たまたま、このホーム頁を開き、送信するしだいです。  

千田さん、お元気ですか?

 投稿者:大阪の若杉です。メール  投稿日:2009年 6月11日(木)03時28分24秒
  千田さん、お元気ですか?伊丹飛行場のシーンについて色々教えて貰った若杉です。
今は東京に転居されたのですね。

わたくしも川崎から東京世田谷の玉川高島屋の風景などを存じておりますが、あの辺りは
風景も宜しい所ですね。

千田さんには最後の最後まで、まさに死力を振り絞って生きていて欲しいです。

それが若くして死んだ方への供養にもなろうかと思います。
 

履歴表

 投稿者:金森メール  投稿日:2008年 8月25日(月)19時32分22秒
  千田様。祖父 上村 勉の履歴表になります。
画像添付方法がわからなかったのでここに記載させていただきます。

履歴表
氏名 上村 勉
兵種 飛行兵
在籍鎮守府 横須賀
特科
入籍番号 横志飛第11727号

所轄長又ハ分隊長印 年 月 日 履歴 所属艦船部隊
1918年10月1日 三重海軍航空隊ニ入隊 第四期乙種(特)飛行予科練習生 三重空
1918年10月1日 海軍ニ等飛行兵ヲ命ズ 三重空
1919年1月1日 海軍一等飛行兵ヲ命ズ 三重空
1919年5月25日 第四期乙種(特)飛行予科練習生(操縦術専修)教程卒業 三重空
1919年5月25日 第三十八期飛行予科練習生(操縦術専修者)トシテ 三重空
西条海軍航空隊ニ入隊ヲ命ズ
1919年8月16日 海軍上等飛行兵ヲ命ズ 詫間空 西条分遣隊
1919年12月28日 第三十八期飛行予科練習生(操縦術専修)練習機教程終業 詫間空 西条分遣隊
1919年12月28日 終業ニ付百里原海軍航空隊ニ入隊ヲ命ズ 詫間空 西条分遣隊
1919年12月28日 自19年8月 航空勤務日誌ニ依ル加算 五月半 詫間空 西条分遣隊
至19年12月
1920年1月6日 西条海軍航空隊ニ入隊ヲ命ズ 百空隊
1920年2月1日 海軍飛行兵長ヲ命ズ 詫間空 西条分遣隊
1920年2月28日 自20年1月 航空勤務日誌ニ依ル航空加算 0年一月半 詫間空 西条分遣隊
至20年2月
1920年3月1日 内令第一八六号ニ依リ西条海軍航空隊ト改? 西条空
1920年3月1日 第十航空艦隊(第十ニ戦隊)ニ編入 西条空
1920年5月5日 自19年7月1日 戦務(加算十一月ニ付一月) 西条空
至20年5月21日
1920年5月5日 自20年3月1日 航空勤務日誌ニ依ル航空加算 0年一月半 西条空
至20年5月21日
1920年5月21日 東京海軍航空隊ニ配属ノ変更セラル 西条空
1920年6月1日 霞ヶ浦海軍航空隊ニ配属変更ヲ命ズ 東京空
1920年6月1日 自20年5月 航空機搭乗0年半月 東京空
至20年5月
1920年6月1日 自20年5月22日 東京海軍航空隊ニテ戦務 東京空
至20年5月21日
1920年8月1日 奥羽海軍航空隊ニ配属変更ヲ命ズ 霞空
1920年8月1日 自20年6月1日 霞空ニテ戦務 霞空
至20年8月1日
1920年8月1日 自20年6月1日 航空機搭乗加算 半月 霞空
至20年8月1日
以上になります。これで何かわかりますでしょうか?宜しく御願い致します。
 

ご無沙汰しております

 投稿者:金森メール  投稿日:2008年 8月22日(金)19時36分44秒
  2005/10にコメントさせていただいた金森と申します。ご無沙汰しております。祖父 上村 勉のことでお調べしていただきました。その後、祖父の履歴書をメールできぬままでおりました。時間はあいてしまいましたが、早々に添付させていただきますので、何かわかることがございましたら教えていただきますよう宜しく御願い致します。  

お久し振りです

 投稿者:上田 武志  投稿日:2008年 8月22日(金)17時29分42秒
  長い間、千田さんのお返事に気が付きませんでした。お盆を過ぎ、急に、秋の気配を感じるようになってきました。お元気でしょうか?
今、北京では、各国の若者が国の威信を背負って、メダル獲得に全身全霊を傾けております。日本選手団を送りだす壮行会や、会場では、多くの国民が日の丸の小旗を打ち振り、
応援しています。
六十数年前、千田さんが日の丸に送られて、故郷を後にした時の光景にダブッテ見えませんか?
国の為と言いつつ、将来ある多くの若者を戦場に送り出した、当時の世相は、私には、文献
や、映画などでしか知るよしがありません。
最近、社会保険庁や国土交通省役人の国民そっちのけの、体たらくを見るにつけ、当時の陸軍省や海軍省の役人なら、統帥権を盾に、国民無視の政治も平気でやったであろう、と
想像しております。
千田さんたち若者は、その引かれたレールをひたすら、走らざるを得なかったのだろうと。
もちろん、そうなって行った背景には、国際情勢の分析の複雑さ、三国同盟を結んだ政治判断の複雑さなど、いろいろ後では言えますが、たとえ現在の福田内閣や、元の小泉内閣でも
正しい判断が出せるかどうか?私には疑問です。
また、当時の社会情勢など教えてください。
まだしばらく、暑さが残ります、お体ご自愛ください。
 

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