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Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時46分33秒
返信・引用
  > No.29[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その7』
 


Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時45分23秒
返信・引用
  > No.28[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その6』
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時44分16秒
返信・引用
  > No.27[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その5』
 

Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時43分2秒
返信・引用
  > No.26[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その4』
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時41分52秒
返信・引用
  > No.25[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その3』
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時30分56秒
返信・引用
  > No.24[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真『その2』
 

Re: 鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時28分4秒
返信・引用
  > No.23[元記事へ]

岩山さんからいただいた写真です。
 

鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時17分45秒
返信・引用
  > No.22[元記事へ]

 追伸、岩山家家系図です。
 私は一番下の宏です。
 身内には、駒場三田育種場や取香種畜場や獣医学校や農学校を創った岩山敬義さんや森有礼一族の養子や初代日銀総裁の吉原さんや東郷さんの前の連合艦隊司令長官の日高さんや石炭石油第一エネルギーの第一人者で東大の名誉教授で全日本バレーボール協会の最高顧問の伊木さんや陸軍大将の伊丹さんやなど、すごいです。なにか参考になれば。

 偉人名簿は学舎絡みの名簿で、これも私ぐらいしか持ってなく、各館長がこれから調べるはずです。総員411名、爵位30名、陸将66名、海将54名、幕末から昭和の初期までの偉人です。指宿の白水館の社長の偉人700人と合わせ、昭和中期までいくと千人です。
 城を中心に八キロ四方から、鹿児島は五十メートルおきに誕生地だらけなのです。加治屋町はごく一部です。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

鹿児島近況報告

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2008年 9月14日(日)18時13分52秒
返信・引用
  > No.21[元記事へ]

 皆さん、おはようございます。

 昨日は田原坂に4時間ほどボランティアしてきました。
 土産物やさんの軒先で弁当を食べてから草むしりをする予定でしたが、通り掛かる観光客に挨拶しているうち、話し掛けられたり、目の前で西郷さんの本や田原坂の本を買われる観光客もいて、また語ってしまいました。
 田原坂ガイドの方もおられて、私の話しに夢中になり、メモをかなりとってました。
 帰る直前に、愛媛からのご夫婦が田原坂ガイドさんに語り部をお願いにみえ、ガイドさんが私のことを西郷さんの親戚の方ですと案内されたため、同行することになり、いろんな質問もあり、多くの西郷さんの話しや田原坂での話しを聞いてもらいました。特にガイドさんも興味をもたれたのは、西南戦争前後の官軍の方々の階級と役職です。
 もちろん持論です。
 六年に西郷さんが職を辞してから続々と夢も希望も、あらゆる業界の第一人者となっていた方々、軍人、警察官、官僚、政治家、学者、商人、留学生などなどが、収入も捨てて鹿児島に約千人帰ってきました。腐敗した政府に嫌気をさし、もう一度、西郷さんのもとに。
 中でも残った軍人は、上役の上官クラスが、ごっそりと抜け、下級者が、一・二階級昇進し、役職も二段飛びしたはずです。
 また、西南戦争で薩摩西郷軍団の命をあげた大きな胸を借り、レベルの高い実践経験をさせてもらい、結果、戦後、かなり多くの軍人も亡くなり、階級や役職が三階級昇任したはずです。(軍人は本来死んで二階級特進ですが)もちろん弟も従兄弟も黒田も川路も川村も樺山も。
 ただし彼らや他の薩摩出身者は、地元鹿児島や親兄弟親族相手に故郷を灰にして闘い、誰一人喜んだ者はいないはずです。豪邸に住み、豪華な暮らしをして爵位を賜り、社交ダンスをしても、地元、親族、故郷、ご先祖に喜ばれず凱旋出来ない薩摩出身者は間違いなく、悲しみに沈んでいたはずです。いまだ遺品も里帰り出来ない方々までいるのですから。
 銅像だって大久保は百年で建てる土地がなく、鹿児島が全て拒否し、ライオンズ倶楽部の公園内に、川路は120年で鹿児島県警敷地内に建てられ、その像の目線が定まらないはずです。従道や巌の親族は一人も鹿児島には帰れないのです。残念ですが鹿児島では当たり前です。
 薩軍は死んで西郷さんと一緒に南洲墓地に、生きた者は名を慰霊碑に刻まれることなく、刑務所に。残された家族女子供は、どちらも収入源を完全に絶たれ、士族の家柄まで剥奪され、昭和の始めまで孫の代まで貧しい生活を余儀なくされたのですから。
【勝てば官軍】
 勝てば何でも官軍政府の好きなように嘘と虚像でぬりかためられたまま教科書にもお札にもなるのです。国会議事堂内の銅像や靖国の銅像、征韓論の汚名濡れ衣など、鹿児島県職員も95%が地元出身者の西郷党だったのが、戦中95%県外出身者に変わったそうです。
 西郷さんの創った負けた敵を救ってまわる軍隊は無くなり、朝鮮・中国・亜細亜と前進する軍隊が日清日露、南京・日中、シナ、血命団、515、226、大東亜、世界大戦、真珠湾・沖縄・特攻・原爆・終戦、現在の朝鮮中国問題など幕末明治維新から全く変わらない、いや悪化状態まで、なんで、こんなに成ったのか。何のために誰のために。
 先週の『篤姫』の寺田屋での有馬新七の「俺ごと刺せ」で亡くなったのは、なんのため。有馬が寺田屋で突出してなければ、西郷さんは沖永良部に流されず、久光や薩摩の一家臣で終わり、薩摩は京都守護をし、あれ、薩摩が新撰組になんてことも、生麦がないから薩英戦争がなく、ボシン戦争に薩摩はどっちだったか、江戸城無血開城もなく、薩摩の働きが全て消えてしまう。有馬さぁゆくさ気張ぃやした。おまんさぁの決死の御蔭です。
 脱線しましたが、西南戦争がもたらした物は、計りしれないのです。特に田原坂では一日で官軍は平均32万発の弾丸を消費し、多い日は60万発ですよ、世界の戦史で、こんな戦場はありません。かちあい弾などは通常発生しません。私は自衛官なので良くわかります。
 音速で飛ぶ単発銃です。ありえません。天文学的です。
 連発銃や機関銃で固定して撃てば出来ますが、単発銃の構え撃ちでは天文学的です。音速で、外れると間違いなく自分に当たる弾です。角度が寸分でも違えば、かちあい弾のように張り付くことはありません。、単なるチョウ弾で跳ね返るのです。恐らくめくらうちでしょうし。
 また、桐野が二代目、谷が三代目を申し受け、谷が二回目の七代目の時、西南戦争。桐野が目を粒って熊本城を通り過ぎておれば、田原坂はなく、おそらく福岡か北九州が第二の田原坂に成ってたでしょう。
 もちろん、全て、私の持論です。
 現代までの歴史は、あの明治六年の大久保の座った席から全ては始まったのです。大久保さんの誤算から。裏切りから。
 みな死にました。
 残ったのは、長州の安部元総理と大久保さんの子孫の次期総理かな。
 もう一度明治六年に時が戻れれば。違った日本の、世界の中の日本が取り戻せるかも。
 しかし、間違いなく、西郷さんの精神や薩摩人の血は現代の我々に受け継ぎ、世界の人々が平等に格差なく、平和に安全に家族を養い、家・地域・社会の他人の為にも汗や心を費やせられる、西郷さんの暖かい精神を広め、学び、作り上げていく、お手伝いをしたいものです。
 だけど西郷さんは、我々が西郷さんを語ったり神様呼ばわりされる事を全く望んでおらず、勝手に銅像にし、多くの肖像画となり、世界中て個人の伝記としては最大数の本となってることを知りません。
 おそらく「おいのこっを語っちょっ暇があっとなら、街でゴミでん拾いけ行っきやんせ。」ち言うじゃろなぁー。
 西郷さんは偉かなぁー。
 さすがに死んでいった爺さん達が、たてまえでは西郷さんも大久保さんも偉かったのよ、と。本音では死ぬ間際に、西郷さんは二千年に一人の神様だけど、大久保ごときは五万とおる、と。なんか解るなー。

 ゴメンなさい。また長くなりました。
 そろそろ、また、田原坂と菊池に参ります。
 今日はコヘイの墓を玉名に探しにいきます。
 また菊池では舎から借りてきた鎧・甲をきてボランティアと菊池のピーアールと歴史史料館に菊池一族の滅亡について学びに行きます。また、情報をいれます。
 あっそれと、今週の20日土曜日に熊本菊池市七城公民館(西郷南洲翁祖先発祥の地)に西郷隆文さんが来られます。
 主催は菊池源吾(吾が源は菊池なり)に学ぶ会で菊池市役所が担当しています。入場料はもちろん無料(西郷さん絡みではお金は取れません。西郷さんか一番嫌いな世界)私は菊池だから鎧・甲で出迎える予定です。
 近くには七城温泉ドームやメロンドームがあります。メロンドームの右斜め後ろ三百メートルの集落が菊池七城の一つ増永城で、そこの地名が西郷です。
 残念なことに西郷姓はもう誰もおりませんが、外城跡や石碑、神社などがあります。午後1時30分開場の2時開会です。熊本の方で興味あるかたは是非お立ち寄りください。
 菊池一族の国や天皇家に尽くす精神を西郷さんは常に胸に刻んでおられたのだなーと思います。なぜなら薩摩人の精神だけなら、西郷さんクラスの神様が沢山できてしまうから。なにか違ったのは、この菊池一族の末裔と言うことだけです。もちろん持論です。
 なぜか私まで、なにかに導かれるかの如く、身体が自然と向いてしまいます。内の岩山家は足利家の末裔なのに。菊池と南北朝時代に戦った一族です。今日も反対勢力に負けずに頑張ります。西郷党を増やしてきます。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

岩山さんへメッセージ

 投稿者:稲垣秀哉  投稿日:2008年 7月30日(水)11時59分3秒
返信・引用 編集済
   岩山さん、近況報告有難うございました。
 携帯に返信したのですが、エラーの表示が出て返ってきてしまいますので、お読みになられるかどうか分かりませんが、こちらに返事を書かせて頂きますね。

「岩山さん、こんにちは。
 近況報告、ご丁寧に有難うございました。

 暑い中ご苦労様でした。鹿児島では伝統が身近なところにあるのだなと、改めて感心致しました。それもこれも岩山さんのような方々がたくさんおられるからこそですね。
 菊池市役所のホームページも拝見させて頂きましたが、西郷さんの存在が一つの求心力となって、多くの方が集まって、勉強し、そして交流の輪を拡げ、深めていっているわけで、とても素晴らしいことだと思いました。西郷さんのご子孫隆文氏も大きな役割を果たしておられるようですね。
 余談になりますが、拙著「西郷南洲伝」の上巻で、西郷さんが菊池源吾という名に「菊池氏であるということが吾が源である」との意を込めたのだろうと書きました。
 家祖の藤原政則は頼山陽の『日本外史』によれば、刀伊の入寇の際、この女真族の攘夷に功があり、朝廷より菊池郡を賜わったとのことで、このことが西郷さんの活動の精神的支えの一つになっていたことは間違いないと思います。また菊池氏は、元寇の傷跡のまだ癒えないときに起こった建武の中興の際も、楠木正成とともに王政復古に尽力したわけで、この歴史的事実が西郷さんの王政復古討幕活動を支えていたはずで、まさに菊池おそるべしですね(笑)菊池氏であることは西郷さんを理解するうえで、どうしても押さえておかなければならないことだと思います。
 今回、菊池市役所のホームページを見て、同じような説を述べている方がおられ、そのことが裏付けられたように思え、少しほっとしました。

 ところで、私もいま、西郷さんから学び、そして見えてきたことを伝えようと、今、寺子屋と銘打って、私塾をはじめようと準備しているところです。まだ何も始っていませんが、鹿児島からいろいろ学びたいと思っていますので、これからもいろいろご教示いただけると嬉しいです。こちらもまた近況報告させて頂きます。これからもよろしくお願い致します。」
 

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