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Re: 西郷さんの手紙

 投稿者:右京  投稿日:2009年 3月19日(木)22時19分27秒
返信・引用
  > No.60[元記事へ]

稲垣先生

こんばんは。
 非常に大事な姿勢・考え方を教えて頂きました。お言葉を胸に勉強を進めたいと思います。
 ありがとうございます。
 


Re: 西郷さんの手紙

 投稿者:哲舟  投稿日:2009年 3月19日(木)06時20分45秒
返信・引用
  > No.59[元記事へ]

 右京さん、お早うございます。

 歴史は常に初心者であるくらいの気持ちを持っていた方がいい。
 われわれが常に接することができる過去の事物は非常に限定されており、実は歴史とは分からない世界であり、全ては仮説なのです。だから磐石なる定説と考えられていた通説が、時代の推移により、ひっくり返されることはいくらでもあります。
 右京さんがお書きになられているように、この材料からはこうも考えられるが、こうも考えられると、謙虚に歴史と向き合うことが大切なのです。そうしていれば確かに断定できることなど実はまれなのだということに気づくでしょう。

 ただそのように謙虚に向き合っているうちに、心の中に沈殿してくるものがあり、それが一つの心象を形成します。不確かな世界に確信のようなものが生まれてくるのですね。
 本来、断定口調は避けなければならない歴史ですが、こういった歴史上の人物や事象に対する確かな心象、これを史観と言ってもいいと思いますが、これが形成されたとき、歴史は断定口調で語らざるを得なくなる。
 私は南洲伝でそういった経験をしました。

 もちろんそれは懐疑を潜り抜けた上での、断定ですから、与えられた史観やイデオロギーによる断定、あるいは断罪とは似て異なる物です。
 歴史や学問の道に分け入るというのはそういうことなのですね。
 
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Re: 西郷さんの手紙

 投稿者:右京  投稿日:2009年 3月18日(水)22時39分48秒
返信・引用
  > No.58[元記事へ]

稲垣先生

早速のご返信ありがとうございます。
 私は入水事件について何が判明していて何がそうでないのかも不確かな素人なので、西郷さんに詳しい方々から見たら噴飯ものの馬鹿げた想像・疑問を抱いているのではないかと不安でしたが、正しいか否かはともかく全く筋の通らないものではないようで安心しました。
 この西郷書簡と通説とのくい違いに気づいたとき私はこう想像しました。「西郷さんご本人は入水後の状況は無論判らず意識が戻ってからも廻りの人々がその気持ちを慮って詳細を積極的には語らなかった為、月照和尚も引き上げられたにも関わらず、西郷さんはある時期まで、或いは生涯、和尚は海底に沈んでしまったと誤解されていたのではないか。」西郷さんも辞世を詠み和尚が懐に入れたという仮定についても、入水直後にそれは和尚の懐から流れ出たか海から引き上げられた後に破損・紛失した、と考えれば一応の説明はつきます。(今でも通説が正しい可能性はあると思っています。)
 ですが、やはり当事者である西郷さん自身の言葉が重く響き、また、西郷さんも詠んだと思われる辞世が知られていないことと”和尚が海の底深く沈んだ”という話が符合し得ることに思い至り、真実はこの西郷さんの手紙の通りなのではないかと考えるようになりました。
 「鑑定団」で鑑定された先生が「この事件については薩摩藩の報告書等がある」旨を仰っていますが、そういう資料やこの書簡に直接あたれる研究者の方々による研究に期待しています。

 城山での辞世についての発表が待たれます。学問的に十分に調査・検討する時間が必要なのでしょうが、早く知りたいです。
 

Re: 西郷さんの手紙

 投稿者:哲舟  投稿日:2009年 3月18日(水)05時14分32秒
返信・引用 編集済
  > No.57[元記事へ]

 お早うございます。
 ご教示いただいたとおり、Youtubeの「開運なんでも鑑定団」拝見させていただきました。
 筆跡からは素人ですのでよく分かりませんが、内容から言って、鑑定どおり、真筆に間違いないだろうと感じました。

 和尚が引き上げられなかったということも、新たな事実で、驚きました。これまでの史料からそれをうかがわせる物はありませんでしたので、私もこれまでの伝記の記述を踏襲しただけでした。この書簡が本物ならば、私が採用した重野安繹の談話よりもこちらの方が信憑性は高いと言えるでしょう。

 南洲翁の辞世に関しては、右京さんのご推理通りだろうと思います。
 後世のわれわれが眼にすることができる史料は、当時の事物の断片に過ぎません。そこから少しでも真実に迫るには、ご説明にあるような常識的感覚で物事を推理し、埋めていくしかないのです。

 たまにメールを下さる岩山さんが仰ってましたが、翁の最期、城山のとき認めた辞世が公表される可能性があるとのことです。おそらく岩山さんが関係の深い、西郷南洲顕彰館でその準備が進められているのでしょう。
 そのことと照らし合わせても、相約して身を投じた薩摩潟のときも辞世を書いたと推測できます。

 ともかく、130年以上の歳月を経た今日、このような新しい事実に出会えるというのは本当に驚きです。
 
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西郷さんの手紙

 投稿者:右京  投稿日:2009年 3月17日(火)23時57分33秒
返信・引用
  こんばんは。
 皆様ご存知と思いますが、去年12月にテレビ東京「開運なんでも鑑定団」に新発見の西郷さんの手紙が登場し、真筆と鑑定されました。(Youtubeで観られます。→http://www.youtube.com/watch?v=E1pVkv_GunE
 月照和尚との心中事件について或る薩摩藩士に書き送ったものですが、西郷さんはその手紙の中で月照和尚が「海中に深く沈んだ」「海底の魚に食われた」旨を仰っています。
 これまで私は、お二人とも海から引き上げられたものの西郷さんは蘇生し和尚は亡くなった、というふうに考えていました。稲垣先生の『(新)西郷南洲伝<上>』も含め私が読んだ本や文章では全てそういう内容でしたからこれが通説ではないかと思います。
 しかし、この手紙における西郷さんの認識はそれと異なっています。
 西郷さんの懐から出てきた月照和尚の辞世に「薩摩の瀬戸に身は沈むとも」とあり、この手紙でも「体を結び合って生死をともにすることを約束した」とのことですから、入水はその直前にどちらかが思いついたものではなく事前にお二人の間で約束されていたはずです。月照和尚が辞世を詠みそれを西郷さんが受取って懐に入れたのですから、同様に、西郷さんも辞世を詠み月照和尚がそれを受取って懐に入れたのではないかと思います。しかし、この時の西郷さんの辞世を私は知りません。私が知らないだけでなく、実際にそれが現代に伝わっていないとしたら、西郷さんの辞世はこの新発見の手紙で語られているように月照和尚とともに海底深く沈み、西郷さんも黙して語らなかった、と考えると、一応の辻褄は合います。
 皆様はどう思われますでしょうか。
 (西郷さんに関心を持ち始めて日が浅い私の不勉強故の未熟な疑問かもしれません。だとしたらお恥ずかしい限りで、お詫び致します。)
 

(無題)

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2009年 3月16日(月)07時26分18秒
返信・引用
   昨日(14日)は熊本城での薩摩鎧武者、本日は田原坂奉仕清掃、その後、植木町山頭遺跡発掘研修、その後、菊池観光案内所に顔を出しにまいりました。

 先日、熊本三州会にも入り、ホテルでの総会懇親会にも鎧甲で参加してまいりました。
 また、来週三月二十日は田原坂戦没者追悼式ということで服装で悩んでるのは私くらいでしょう。
 甲冑か制服か。
 そして、一人じゃ淋しいので西郷隆文さんを誘いました。
「田原坂で戦死した敵味方全ての魂の良い供養・追悼になるから」と言って誘いました。
 初めて参加ということで植木町の役場・町民も待ち望んでおられます。 特に今朝、清掃する多くの町民の姿に感動しました。
 遺跡発掘では戦国時代の土器がゴロゴロ出て来るのですが、そこに混じって西南戦争時の塹壕や弾頭・実弾・薬莢・打ち殻ら薬莢が敵味方双方ゴロゴロ出て来るのですから驚きました。ここでの凄まじい戦場が浮かんできます。まだ発掘の最中で結果が楽しみです。四月は延寿寺の慰霊祭がありますし、五月は初回の明治天皇御巡幸の行事が熊本であり手伝います。
 本業の国防以外が休む間もないほど忙しくなりました。
 何もない日は熊本城か田原坂か菊池です。
 まさに西郷教の宣教師の如く、何かに動かされているような気までします。かの〇〇〇〇教が千年二千年かけた活動を我々も世界に広めるが如く。まだ百三十二年ですから、まだまだ始まったばかし。
 と思えば城山での最期の晩餐やシモベ達、ユダは誰なのか。
 なんて妄想まで。

 永くなりそうなので今日は、これくらいに。
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

Re: (無題)

 投稿者:哲舟  投稿日:2009年 2月26日(木)07時23分47秒
返信・引用
  > No.54[元記事へ]

 右京さん、初めまして。

 拙著をお読みいただき、ありがとうございました。
 正確にお読みいただけたようで、大変うれしく思います。
 南洲翁の全生涯を描くという点では、全く不完全なものを提供することになってしまい、申し訳なく思っております。これほどの大著となると、小さな出版社では扱いきれないのですね。
 でも日本人を南洲翁の真の理解者にするのが、この本を書く上での私の目指すところでしたので、学問をもっと深めて、より完全な形で、改めて世に問いたいと思っています。


 榎本さん、確かにかっこいいですね。
 絵を描くのは存じていましたが、武芸の方もなさるのですか。
 その榎本さんが、日本文化のすばらしさを取り戻すべく、桐野利秋を演じるとのことで、楽しみですね。私も桐野は愛すべき、大きな人物であったと理解しています。

 なお、ブログの方でも拙論は、少しずつですが、書いていますので、そちらの方も覗いてみて下さい。
 ではこれからもよろしくお願い申し上げます。
 

Re: (無題)

 投稿者:右京  投稿日:2009年 2月26日(木)02時41分20秒
返信・引用
  > No.53[元記事へ]

 初めまして。
 稲垣先生の御著書『(新)西郷南洲伝』<上・下>を読ませて頂きました。
 征韓論政変については、従来の「征韓論」「遣韓論」のいずれにも違和感を持っていました。西郷さん程の人物が単なる領土的野心や不平士族のガス抜きの為に他国を攻めようなどと考えるはずが無いのは当然のことですが、さりとて、戦後の反戦平和主義者ではあるまいし戦争を全く想定しない純然たる平和的使節として朝鮮に赴くつもりであったとも思えなかったからです。御著書を読ませて頂いてその疑問が氷解しました。
 西南戦争についても非常に納得のゆくご説明で、西郷さんの真意は稲垣先生の説かれる通りであろうと思いました。
 儒学を修めそれに従って生き抜いた西郷さんの言動は、儒学の視点から見ることによって初めて正しく理解出来る。全くその通りです。
 百数十年後の世に真の理解者を得て、きっと西郷さんも喜ばれているのではないでしょうか。
 <中>巻を含む新たな御著書の発表を心から望んでおります。


 榎木孝明さん、格好良いですね。二枚目で武芸にも芸術にも優れている。同じ男性ですが憧れます。
 榎木さんは、今、桐野利秋を主人公にした映画『半次郎 〜桐野利秋 風伝〜』の製作に取り組まれているそうです。勿論、榎木さんが桐野役です。公式サイトの記事を読むと、残念ながら西南戦争についての解釈は”不平士族の反乱に西郷は担ぎ上げられた”という従来からある見方の一つのようです。
 ですが、「薩摩武士、桐野利秋(中村半次郎)を主役にした明治維新の映画を通じて、本来の日本文化の素晴らしさをもう一度取り戻したく思います。」という意気込みに、良い映画になるのではないかという予感を、私は抱いています。
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

(無題)

 投稿者:哲舟  投稿日:2009年 2月25日(水)11時28分47秒
返信・引用
   以前、岩山さんからお送りいただいて、掲載し忘れていた写真です。

 岩山さんと俳優の榎本孝明さんの、南洲墓地におけるツーショットです。
 

(無題)

 投稿者:岩山宏至  投稿日:2009年 2月25日(水)11時19分6秒
返信・引用 編集済
  二枚目、ライトアップされた南洲墓地の写真です。  
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